2005年04月10日

4月3日のメモ

・ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去(日経・CNN)
・ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去−ポーランド出身、在位26年
・ユダヤの支配するUPI通信が次期ローマ法王として、ユダヤ人の枢機卿、ジャン・マリー・ラスティガーを売り込むと(太田龍の時事寸評)
・白い煙はいつ 新法王選出の手続き(CNN)
-------------------------------------------

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去

【ローマ=野沢正憲】ローマ法王庁(バチカン)は2日夜(日本時間3日未明)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が同日午後9時37分(同3日午前4時37分)、自室で死去したと発表した。84歳。ポーランド出身で、10億人を超えるカトリック教徒の最高指導者として、東欧革命や中東和平、宗教間対話の促進などの平和外交に積極的に取り組んだ。

バチカンのサンピエトロ広場には回復を願って集まっていた数万人の市民が涙を流して、悲しみにくれている。

法王は1月以降、二度にわたってローマ市内の病院に入院。2月下旬には呼吸障害を防ぐための気管切開の緊急手術を受け、一時は回復傾向にあったが、容体はこの数日間で悪化した。3月31日には尿路感染症のために高熱を出し、法王庁は1日、「法王は非常に危険な状態にある」と発表、2日も「意識が遠のく時もある」などとしていた。

法王の死去に伴い、バチカンは法王選出選挙を実施する。 (05:51)

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050403AT3K0300203042005.html





バチカンのサンピエトロ広場で、
死去したローマ法王ヨハネ・パウロ2世の故郷、ポーランドの国旗を振る信者
2日〔著作権:AP.2005〕



ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去
2005.04.03 Web posted at: 06:58 JST - CNN

(CNN)ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、死去した。ローマ法王庁(バチカン)が発表した。

バチカンのナバロ報道官は「聖なる父が今晩9時37分に召された。我らが愛する聖なる父、ヨハネ・パウロ2世は神の御許に戻った。祈りを捧げましょう」と声明を読み上げた。報道官はまた、法王交代の手続き変更が9年前に行われたことに言及し、「1996年2月22日にヨハネ・パウロ2世によって提出された使徒教憲にみられるすべての手続きが始まっている」と述べた。

バチカン国務省長官のソダノ枢機卿は、法王宮殿下のサンピエトロ広場に集まった群衆に法王の死を伝え、黙祷を呼びかけた。人々は頭を垂れて祈りを捧げ、涙を流す人もいた。ソダノ枢機卿は、法王を祈念するミサを3日午前10時半に行うと述べた。

全世界10億人のカトリック教徒のカリスマ的指導者として、法王は26年間の在位中、129カ国を訪問した。

http://www.cnn.co.jp/world/CNN200504030001.html





法王庁が遺体を公開/聖水受ける法王の遺体
3日、バチカンの使徒宮殿に安置され、聖職者から聖水を受けるヨハネ・パウロ二世の遺体のテレビ画像
(AP=共同)



ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去−ポーランド出身、在位26年

4月2日(ブルームバーグ):ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が2日、死去した。84歳だった。法王庁が同日明らかにした。

法王庁は3月31日に尿路感染により法王の容体が悪化したことを明らかにしていた。同法王は2月24日に気管切開の手術を受けて以来、公の場での発言は1回だけで、鼻腔チューブによって栄養を摂取している状態。3月27日には在位26年間で初めて、復活祭の祝福を声に出して聴衆に読み上げることができなかった。

ヨハネ・パウロ2世(本名カロル・ボイチワ)は、1920年5月18日にポーランドで生まれた。1978年10月16日にローマ・カトリック教会の最高位に選出された。イタリア人以外が法王の座に就いたのは450年強ぶりのことで、在位期間は歴代3位。

在位期間中は130カ国以上を訪問し、平和や寛容、調和といったメッセージを世界中に広めた。その一方で、中絶反対や司祭職での女人禁制存続を支持するなど、その保守的な考え方はカトリック教徒の一部から批判されることもあった。パーキンソン病や1981年にサン・ピエトロ広場で起きた暗殺未遂事件の後遺症などで、特に晩年の10年余りは健康状態が優れず、車椅子生活を余儀なくされた。

法王選出後1カ月で死去したヨハネ・パウロ1世を引き継いだ当初はまだ 58歳ということもあり、資質が問われたときもあったが、その後は非キリスト教圏も含む外国訪問を積極的に行い、影響力を広げた。

イラク戦争には反対

最近では、米国主導のイラク戦争に対しては反対を表明。ブッシュ米大統領が神は米軍を勝利に導くと発言したことに対し、ローマ法王庁はイラクに対する攻撃は国際連合の支持なしには「正当化されない」としたうえで、ヨハネ・パウロ2世は「悲しみに耐えない」と表現していた。

非キリスト教圏とのつながりに関しては、1993年にバチカン市国とイスラエルの国交を樹立し、2000年3月にはユダヤ教の聖地であるエルサレムの嘆きの壁でローマ法王としては初めての祈りを捧げた。また、パレスチナ地区やヨルダンも訪問するとともに、イスラエル・パレスチナ間の紛争を重ねて非難し、カトリック教徒に対しては中東での平和を祈るように唱えた。

また、初の共産圏出身の法王としての活躍もあった。1980年代には、米国政府と密接に連携し、それがポーランドでの自主管理労組「連帯」に対する国際社会の支持強化につながり、同国での社会主義体制崩壊に貢献した。ベルリンの壁が崩壊した1989年12月には、当時のソビエト連邦のゴルバチョフ大統領とバチカンで会談。1998年1月には、マルクス主義最後のとりでの1つであるキューバも訪問している。

更新日時 : 2005/04/03 07:29 JST

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003009&sid=acb_nBBm2Knw&refer=jp_top_world_news



ユダヤの支配するUPI通信が次期ローマ法王として、ユダヤ人の枢機卿、ジャン・マリー・ラスティガーを売り込むと。(M・C・パイパー)

更新 平成17年04月03日21時37分
【無断転載厳禁】

太田龍の時事寸評
平成十七年(二〇〇五年)四月三日(日)
(第一千二百六十八回)

○マイケル・コリンズ・パイパーのニューズレター、二〇〇五年四月三日。

○「ユダヤの支配するUPI通信が、ユダヤ人を次の法王として売り込む」
 と。

○ヨハネ・パウロ二世は死んだ。

○すると、ユダヤの支配するUPI通信は、
 ヨハネ・パウロの次のローマ法王の候補として、もとパリ大司教、ジャン・
 マリー・ラスティガーを売り込んだ。

○ジャン・マリー・ラスティガーは、今、七十七才。

○両親はユダヤ人。

○十四歳のときにキリスト教に改宗したとは言え、彼は、ユダヤ人であり続
 けて居る。

○「私はユダヤ人として生れた。そして私は今もユダヤ人である。
 私にとって、イスラエルの役割は、ゴイム(非ユダヤ人)に光をもたらす
 ことである。それは私の希望でもあり、そして私は、キリスト教はそれを
 達成するための手段であると信じる。」

○これは、
 「ジャン・マリー・ラスティガーは、二番目のユダヤ人法王となるか?」
 と言うUPIの記事であると。

○二番目のユダヤ人法王とは何のこと。
 
○つまり、最初のカトリック法王は、ペトロ(英語ではピーター)、つまり、
 キリストの十二人の使徒の筆頭。

○ペトロはユダヤ人であると。

○かくして、もとパリ大司教ジャン・マリー・ラスティガーは、目出度く、
 次の法王に選ばれて、「ぺトロ二世」、二人目のユダヤ人法王へ、と。

○ちなみに、M・C・パイパーによれば、UPI通信は、親イスラエル的な
 文鮮明の統一協会によって所有されて居ると。

○なお、この文鮮明統一協会の中枢メンバーの一人は、ロスチャイルドの系
 列の、アルノー・デ・ボーチグラーベ(Arnaud De Borchgrave)であると。 
 
○ユダヤ人であり続けることを公言する、このカトリック教僧侶は、
 一九八一年、パリ大司教に任命され、一九八三年、枢機卿に。

○最近、彼は、パリ大司教を辞任したが、枢機卿であることは変らない。

○ユダヤ人であり続けながらカトリック枢機卿でもあるとはどう言うことか。
 この奇々怪々なしろもの。

○一九六〇年代初頭のあの悪名高き、カトリック教会第二バチカン公会議。

○このバチカン公会議のあと、
 カトリックは全面的にそして、公然と「ユダヤ化」しつつある。

○そしてこの過程は、どこへ行き着くのか。

○これはNWOニューワールドオーダーの計画する、単一世界宗教完成の
 ための布石の一つ、ではないのか。

 (了)

http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi



白い煙はいつ 新法王選出の手続き
2005.04.03 Web posted at: 17:09 JST - CNN

(CNN) ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の死去に伴い、新法王の選出に世界中の注目が集まっている。「コンクラーベ」と呼ばれる法王選出会議で決まり次第、バチカン宮殿から白い煙が立ち上るが、コンクラーベは「根比べ」と言われるほど、長引く可能性もある。

法王が死去すると、最大20日以内に枢機卿会議、つまりコンクラーベが開かれる。在外の枢機卿のローマ到着を待つため、死後15日がたつまでは開いてならない。出席する枢機卿は、80歳以下で法王選挙権をもつ最大120人で、参集した後は、外部の人間との接触が禁じられる。

コンクラーベはシスティナ礼拝堂で午前中に始まり、その日の午後から選出のプロセスが始まる。

枢機卿たちはまず、体の不自由な枢機卿たちから投票用紙を集める係3人と、集計係3人、立会人3人を選ぶ。次に、投票用紙が配られる。これは長方形の白い紙で、上半分にラテン語で「至高の法王としてこの人を選ぶ」と書かれていなくてはならない。枢機卿120人は、推薦する人物の名前を下に書き、紙を2つ折りにする。

原則的には、カトリックの洗礼を受けた男子なら誰でも、法王に選ばれることができる。もし聖職者でない世俗の人物が選ばれた場合は、司教に叙階される必要がある。

全員の記入が終わると、枢機卿たちは年長順に祭壇に向かい、自分の責務を真摯に果たすことを誓う。その後、枢機卿は用紙を貴金属製の小さなディスクに乗せて、ミサに使われる大杯の中に入れる。

投票の結果、誰か1人が3分の2の票を得れば、新法王が決定する。3分の2以上を獲得した人物が誰もいなければ、その日のうちに2回まで再投票が行われる。

開票のたびに、一度使われた用紙は燃やされる。新法王が決まらなければ、薬品を加えて煙が黒くなるようにする。バチカン宮殿の屋根から黒い煙が立ち上れば、サンピエトロ広場で新法王選出を待つ人々は「まだだ」と分かることになる。新法王が決まると、投票用紙は薬品なしで燃やされる。このため白い煙が、新法王が決まった印となる。

コンクラーベ開始から3日たっても新法王が決まらないと、投票は一時中断される。最大1日を祈りや話し合い、最上位の枢機卿からの訓戒などに費やした後、投票が再開。7回かけても決まらなければ、再び祈りと話し合いと訓戒が繰り返される。そしてまた、最大7回の再投票が続く。

伝統的には、新法王となるには全体の3分の2より1票多く獲得する必要があったが、ヨハネ・パウロ2世は法王選出手続きに関する規則「使徒憲章」を96年に改正。もしコンクラーベ開始から12〜13日後にも決まらなかったら、コンクラーベ過半数の賛成をもって、絶対過半数を獲得した枢機卿を法王とするという規定を実施することができる。これによって複数の候補をめぐり膠着(こうちゃく)した場合は、事態収拾がしやすくなった。

選出された枢機卿は、コンクラーベの意志を受け入れるか質問される。8回目の投票で選ばれたヨハネ・パウロ2世は、涙を浮かべてうなずいたと言われている。枢機卿が法王即位を受け入れると、司祭長が、法王としての名前を何にするか質問。即位名がその場で公表され、集まった枢機卿たちが新法王を祝福する。

これをもって最年長の枢機卿が、サンピエトロ広場を見下ろすバルコニーに進み出て、「ハベムス・パパム(法王が決まった)」と宣言し、新法王を紹介。新法王は法王として初めて、ローマと世界に祝福を授ける。

過去に多くの法王は戴冠式を経て即位したが、ヨハネ・パウロ2世は戴冠式を拒否し、サンピエトロ広場でのミサをもって即位した。

http://www.cnn.co.jp/world/CNN200504030007.html



posted by ヒート at 16:55 | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。