2006年07月15日

『福井日銀 危険な素顔』リチャード・A・ヴェルナー(著)



●福井総裁就任は30年前から決まっていた

石井:福井さんが総裁就任を受諾するとは思わなかった。福井さんには副総裁だった98年当時、日銀接待汚職事件の責任を問われて松下総裁とともに辞任したという経緯がある。その時、福井さんは全然責任を感じておらず、次は自分の番だと総裁就任に意欲を示していたが、自民党長老の一喝でやむなく辞任した。もちろん責任を自覚していないのは福井さん本人だけで、自殺者を出した上に100人以上の処分者を出したのだから、副総裁という内部管理者のトップとしての彼の責任は非常に重い。

福井さんが日銀を去る時に口にした「世の中に迷い出る」「私は日銀に帰らない」という言葉は今でも記憶に新しい。それからわずか五年で、日銀に帰ってくるとは驚きだ。

ヴェルナー:今から30年以上も前に、日銀の内部の偉い人たちが集まって、2000年あたりの総裁は福井俊彦にしようと決めていたからだ。こうした計画が実は1960年代の終わりからあった。それ以来、福井さんはずっと日銀のプリンスと呼ばれていた。

●プリンスの条件は能力ではなく、忠誠心

ヴェルナー:総裁の選び方はどう考えてもおかしい。若いうちに、たとえば三二〜三三歳で六五歳から七〇歳の時期の総裁を決めるのは、どう考えても能力主義ではない。同期や同世代の人たちに「おれが総裁だから、君たちはどんなにがんばっても総裁になれない」という逆インセンティブを与えてしまう。こんなやり方は、どう考えてもやはりおかしい。

石井:若いころからプリンスを決めるのは、日本の将軍の選び方と同じだ。

ヴェルナー:そう。それは貴族杜会にも当てはまる。早い時期に後継者を選ぶことにはちゃんとした合理的な理由がある。後継者選びの条件として、能力よりも重視しなければならないことがある。それは忠誠心だ。忠誠心は早く選ばないと植えつけることができない。つまり、現在のプリンスは自分に対して忠誠心のある人を次のプリンスに指名したい。なぜなら、プリンスは長期的に影響力を保ちたいから、白分の意見や政策を支持する人を跡継ぎにしないと困る。政策を変えずに、ずっと現在の政策を続けてくれれば、影響力を高めることができる。

これは昔の王様・将軍、独裁者の後継者選びと同じやり方だ。自分たちの王朝体制を長く続げるという視点で後継者を選んでいる。そうすると、望ましい人物像は自分の考え方や政策を守ってくれる人だ。合理的なやり方だが、能力主義の選び方でない。能力主義なら、いうまでもなく一番能力のある人、知識があって積極的に仕事ができる人、実績がある人選ぶ。ただし、能力はあっても政策や考え方が同じになるとはかぎらない。たとえ考え方が異なっても、一番いい人を選ぶのが能力主義のメリットだ。民主主義の場合、後継者選びは能力主義に基づいて行わなければならない。そうしなけれぼ、民主主義ではなくて貴族主義、王朝体制になってしまう。

日銀の後継者選びはまさに王朝体制そのものだ。円の支配者が、プリンスたちが次のプリンスを早く選んで「あなたは三〇年後に総裁になる、私のおかげで」と告げる。そうすると、次のプリンスに指名された人は、そこまで支持してくれるのだから「先輩のいうとおりにがんばります」と感謝する。それで、歴代のプリンスたる先輩の考え方、政策を支持するようになる。戦後の日銀の金融政策が一貫しているのは、プリンスの条件が忠誠心だったからだ。早め早めに次のプリンスを選ぶことで、二〇年、三〇年といった長期計画をつくって導入、実施できる。

石井:まったく同感だ。日銀の総裁というのはまさに王様、将軍だ。将軍の跡継ぎを選ぶようなやり方で、日銀の総裁をずっと選んできたことは間違いない。日銀のプリンスはある時期がきたら先輩のプリンスたちからお墨付きをもらう。お墨付きというのは、将来総裁になれますよという証明書みたいなもので、そのお墨付きを出した時点で、たとえていえば総裁のやり方という巻物、本当の秘密も全部書いてある巻物が手渡される。この巻物を渡すということが、あなたを王様にするということになる。ヴェルナーさんのいうとおり、巻物、免許皆伝は早い時期に渡す。この巻物を持っていない人には、本当の金融政策はわからない。実は、前総裁の速水さんはこの巻物を持っていなかった。

●速水おろし、速水いじめのすさまじさ

石井:実は、大変はずかしい話だが、それまで総裁の途中交代がなかったので、日銀はその時この総裁の任期がいつまでなのかわからなかった。速水さん本人もわからなかった し、周囲の人問もわからなかった。本人は三年程度か、あるいは松下さんの残りの任期、すなわち松下さんの任期は九九年一二月までだったので、それまでのショートリリーフかなといった感じだった。しかし、そのうちに速水さんは「いやいや私はね」と総裁の座に居座ってしまって、五年の任期いっぱい総裁をやってしまった。

ヴェルナー:すごくおもしろいことだ。速水さんは本当に短期問だけの総裁になる計画だった。つまり、福井さんが予期せぬ事態に遭遇して辞めて、松下さんの残りの期問が九九年一二月までだったので、三重野・福井の計画では速水さんの任期はそこまでだった。速水さんは当時、日銀を去ってから一〇年以上もたっていたので、日銀とは関係のない人にみえたが、三重野さんと速水さんは日銀の同期でしかも三重野さんのほうが立場が格段に上だったので、三重野さんが速水さんに「君ちょっと総裁になりなさい」と頼んで、速水総裁が実現した。

石井:おそらく三重野さんはその時速水さんの任期は九九年一二月までと考えていたはずだ。それで世の中が変わったら、福井さんを早く総裁にしようと。

ヴェルナー:それが計画だっただろうが、しかし速水さんには忠誠心がない。速水さんはプリンスとは全然違う。若いうちから選ばれていない。逆に、「あなたが総裁になるのはだめだ」とはっきりといわれた。そんな速水さんには、福井さんのことを忠実に守るインセンティブはやはり少ない。三重野さんと福井さんがショ-トリリーフ役に速水さんを選んだのは、速水さんは三重野さんと同年齢で、従来の日銀総裁よりも年輩だったので、短期間の総裁には適任者だった。

そこで、日銀の歴史は長いから、総裁の任期は本来五年だが、この総裁の任期は九九年一二月までだということを理解してもらったうえで、速水さんに頼むという話し合いがあったと思う。しかし、速水さんには忠誠心がなかった。法律をみて、総裁の任期は五年と書いてあるのに、なぜ辞めなけれぱたらないのかと開き直って、辞めなかった。それで、福井さんは相当怒ったみたいだ。

石井:予定が狂ったから。三重野さんも頼んだ以上、速水さんに直接辞めろとはいえなかったのだろう。

ヴェルナー:速水さんが三重野さんたちが計画した任期の九九年一二月で辞めなかったからなのだろうか、二〇〇〇年には速水さんの評判が悪くなるようなことが起こった。理由は不透明なのだが、突然速水さんがゼロ金利政策を解除して金利を引き上げた。おそらく、速水さんは三重野さん、福井さんといろいろ相談して、金利を引き上げたと思うが、その結果速水さんの評判が悪くなってしまった。

金利を引き上げたから景気が悪化し、デフレスパイラルに陥ってしまったとマスコミや各方面から速水総裁は批判された。景気が悪化したのは速水さんの金利政策のせいだとみな思った。しかし、景気が悪化したのは金利を引き上げたからではない。日銀が信用創造の量、すなわち経済に入れるお金の量を九九年中、大幅に縮小させたからだ。当時、銀行は貸し出しの回収に力を入れ経済からお金を吸い上げていたが、日銀も経済からお金を吸い上げていた。経済全体に流通するお金の量を縮小させた。その縮小幅は戦後最大だった。しかし、速水さんは信用創造の量が縮小していることを、日銀が信用創造量を大幅に縮小させていることを知らなかった。

速水さんは金利を引き上げたが、大蔵省・財務省出身の総裁と同じように、本当の金融政策の意思決定にはかかわっていなかった。速水さんは信用創造のことはわからないようだ。営業局も経験していないし、信用創造の量、中央銀行の取引の量だってわからない。速水さんはただ総裁の地位にいただけで、本当の総裁は信用創造の量を決めるプリンスだった。速水さんはプリンスではないので政策決定の権限がなく、信用創造の量を決めることができなかった。実際には、副総裁の山口さんが福井さんの命令によって信用創造の量を決めていた。だから、速水総裁の時にも、本当の総裁は福井さんだった。

●「失業率8%は当然」国民が苦しんでいても何とも思わない人

ヴェルナー:昨年(2002年)の11月に福井さんに会った時、彼は「失業率は8%を!目指すべきだ」と耳をうたがいたくなるような言葉を口にした。福井さんが実際にそうした政策をおこなうかどうかは別問題だが、基本的には福井さんは失業率が高くなっても平気な人だ。

石井:失業率8%でもなんとも思わないという意識は論外だ。だから、福井さんは国民が不況に苦しんでいてもなんとも思わない。

ヴェルナー:それが日銀のプリンスのやり方だ。国民のことは全然考えない。

●福井さんは米国ウォール街の金融財閥の筋書きで動いている

ヴェルナー:福井さんに経歴をみれば、国民のために働いていないことは明らかだ。これは大問題だ。国民のために働いていないとすると、一体だれのために働いているのか。私は米国ウォール街の金融財閥のために働いているとみている。ウォール街の金融財閥の対日政策目的は何かといえば、彼ら自身が60年代、70年代にちゃんと公表している。すなわち、米国は日本との交渉において様々な分野で日本が構造改革をしなければならないと要求した。それに加えて、米国の企業および金融財閥の日本におけるマーケットシェアがほとんどゼロに近かったので、シェアを大幅に拡大しなければならない。さらに、米国の企業が日本企業を買収しやすくしなければならない。これがウォール街の金融財閥が目指していたことだ。

どうやったら、ウォール街の金融財閥の野望を実現できることができるのか。野望実現のためには大きな不況が必要だ。不況になれば、株価が下落して、日本企業の買収価格が安くなる。倒産すれば、それこそ激安になって、ほとんどただ同然で手に入る。こうした政策を導入して日本を不況にさせたのは福井さんだ。だから、福井さんは国民のためではなく、ウォール街の金融財閥のために働いていると思っている。

石井:日銀のプリンスというのは、早くから米国の金融資本、英国の金融資本などの人脈と様々な関係がずっと続いてきている。戦後日本の頂点に君臨した一万田さんはドイツで米国金融財閥とのかかわり方を勉強し、その視点にたって後輩のプリンスたちを育ててきた。殿様の付き合い方というものを早くから教えているわけだ。で、中央銀行の政策の軸足がどこにあるかというと、やはり日本の銀行、米国の金融資本、欧州の金融資本だ。こうした考え方がプリンスの頭の中に自然に入っている。巻物にちゃんと書かれている。

●小泉首相の雇い主は実は福井さんだ

ヴェルナー:こうした視点で今回の日銀総裁人事をみると、小泉さんが福井さんを選んだというよりも、福井さんのほうが小泉さんを選んだといえるだろう。福井さんが小泉さんの雇用主だと思う。

小泉政権が誕生したのは、この長い不況のおかげだ。小泉さんは構造改革論者として頭角を現わした政治家だが、構造改革派の人が政治家として頂点まで上り詰めることができたのは、この長い不況の結果だ。長い不況は福井さんの政策の結果だ。だから、小泉さんは福井さんのおかげで首相になって、今まで首相として構造改革を推進することができた。

●不況を深刻化させ、企業倒産させる。外資に国を売る気か

ヴェルナー:日銀のプリンスたちには、80年代にはバブルをつくるという政策目標があった。90年代の目標は不況だった。彼らがその気になれば、いつでも景気を回復させることができるのに、いまだにやっていない。ただし、福井さんが目指した目的はほぼ達成したとみている。この不況の目的は、日本に構造改革をさせることだった。構造改革を進める上で必要なのは、まず日本経済の評判を悪くさせ、従来のままではダメだという意識を皆に与えることだ。そして、危機感を持たせて、今までのシステムを改革しなければというイメージを与える。これはほぼ成功した。

日銀の宿敵だった大蔵省を壊すこともできたし、悲願だった日銀法を改正することもできた。残されているのは、外資系に日本でのマーケットシェアを拡大させることだ。これは天下り先とも関係することだが、最近、日銀の天下り先で最も多いのは外資系だ。福井さん自身も米大手証券ゴールドマン・サックスのアドバイザーをやっていた。

特に注目されるのが、ウォール街金融財閥のはげたかファンドの動きだ。はげたかファンドの中には、ゴールドマン・サックスが運営しているものもある。はげたかファンドの利益のためには、もう少し企業倒産が必要だろう。それゆえ、今後一段と景気を悪化させて、不況を深刻化させて大手企業や銀行を倒産させ、はげたかファンドが安く日本の大手企業を買えるように仕向けるというシナリオもありえない話ではない。

ほかの国でもだいたい中央銀行と国際通貨基金(IMF)とはげたかファンドは一緒に動いている。アジア危機がまさにこの構図で、はげたかファンドがIMFと一緒に入り、IMFが危機に陥ったアジア各国の政府にこの企業、この銀行を倒産させなければならないと要求する。そして、倒産させた後に、はげたかファンドが安く買う。その後、IMFは中央銀行に信用創造を拡大する政策を実施してもいいという指示を出し、そうすると景気がよくなり、はげたかファンドが安く買った企業の価値が10倍以上になるというやり方だ。日本では、IMFのような政策をこれまで日銀がやってきた。

●「独立性を高めるために日銀法を改正する」論理の大きな矛盾

ヴェルナー:ライヒスバンクについて少し説明すると、この中央銀行には民間の株主がいた。ドイツが第一次世界大戦に敗れたあとの1922年に、新しいライヒスバンク法が導入された。法律の改正には米国ウォール街の金融財閥が絡んでいた。戦争中、JPモルガンなどのウォール街の金融財閥はイギリスに多額のお金を貸していた。1916年までドイツとイギリスの勢力は拮抗していて、このまま戦争を終結させようという交渉が始まったが、それでJPモルガンなどがあわてた。イギリスが戦争に勝たないと、つまり敗戦国がないと貸したお金を返済してもらうことができないからだ。イギリスには返済する余裕などなかったので、このまま戦争が終わるとJPモルガンが一番困る。そこで、イギリスを勝たせるためにJPモルガンは米国政府に圧力をかけ、米国を参戦させた。

その結果、ドイツは戦争に敗れ、戦後賠償を支払わなければならなかった。賠償は形式的にはイギリスや米国に支払われるものだが、実際に手にするのはウォール街の金融財閥だった。そこで戦勝国は賠償委員会をつくって、中央銀行の法律を変えた。ドイツ国民が決めたのではなく、ウォール街の金融財閥が戦勝国の政府を使って決めた。

こうして設立されたライヒスバンクはドイツ政府から100%独立していただけでなく、国会からも独立していた。ドイツは敗戦までは帝国だったが、敗戦とともに皇帝は辞任させられ、民主主義が導入された。しかし、中央銀行は国会からも独立していたので、民主主義とは違っていた。ドイツの中央銀行は世界で初めて、政府からも国会からも、すなわち国民に選ばれた代表から独立していた。つまり、中央銀行ライヒスバンクは、国民の利益とは正反対のこともできたし、政府や政治家が国会で決めることと正反対のこともできた。

ただし、ライヒスバンクはドイツの政府や国会からは独立していたが、全般的な独立性があったわけではなかった。実際にライヒスバンクの政策を決めていたのは賠償委員会だった。

●日銀の政策ルーツはヒットラーを生んだ独中銀

石井:今度は日本にもかかわってくるから、とても重要な話だ。

ヴェルナー:最も重要なのは、この中央銀行は国から、国会から、政府から独立していたという点だ。このため、国や政府の影響を受けずに金融政策を決めることができた。そこで1922年からの金融政策を振り返ってみると、まずハイパーインフレをつくったのは独立しているライヒスバンクだった。その後もライヒスバンクはひどい政策をとり続けた。窓口指導をつくりだしたのはライヒスバンクだった。一万田さんは1922年から25年くらいまでライヒスバンクにいて、信用統制について勉強した。ライヒスバンクの政策は日本とも直接つながっている。

石井:一万田さんは若い頃から総裁候補で、優秀だったので、ドイツに留学していた。ドイツは日本の友好国でもあるし、中央銀行の典型であるライヒスバンクに行って政策を学んでこいということで、ライヒスバンクに派遣されていた。その時、一万田さんの頭にライヒスバンクのことが全部叩き込まれた。戦後の日銀の精神の息吹はそこにある。

ヴェルナー:三重野さん、福井さんが本当にやりたかったのは、ライヒスバンク法を日本に導入することだった。結局に、それに近い法律が日本に導入されてしまった。

石井:巻物はそこで一万田さんの頭に入った。米国との関係を含めて、とても重要なポイントだ。

ヴェルナー:ドイツから独立していた中央銀行の実績をもう少し分析すると、まずハイパーインフレに導いて、ドイツを最悪な経済状況に陥らせた。

石井:人間が味わった最悪のインフレといわれていた。

ヴェルナー:次にライヒスバンクは、窓口指導を使って不況にさせた。バブルのような状況をつくり、銀行が潰れるような政策をとった。日銀も営業局の窓口指導によって80年代にバブルをつくり、銀行を倒産させた。日銀とライヒスバンクの金融政策は非常に似ている。アジア危機の時にタイの中央銀行もライヒスバンクとまったく同じ政策を実施した。結局、1931年にはドイツの銀行はつぶれた。そして大変な不況をもたらした。当時の失業率は25%にも達した。

実は、その時期にずっと、ヒャルマー・シャハトという人物がライヒスバンクの総裁だった。そのシャハトが注目したのがヒットラーだった。当時、ヒットラーは資金力がなく、魅力的な経済政策も打ち出していなかったので、シャハトの方から積極的にヒットラーに連絡をとって、「私はヒットラーを支持する」と宣言した。もちろん、ドイツの大手企業はシャハトのいうことをきく。日銀の一万田さんと同じように。戦後日本では一万田さんの意向にしたがって、銀行も企業も皆動いた。一万田さんは法王といわれたが、シャハトも同じく法王だった。マルクの支配者だった。

そのマルクの支配者が急にヒットラー支持を宣言したので、ドイツの財界もヒットラーを支持することになった。シャハトはヒットラーの経済顧問になった。ヒットラーが政権の座につけたのはシャハトのおかげだ。シャハトの支持がなければ、絶対ヒットラーはドイツの首相になれなかった。ヒットラーが首相になると、もちろんまたシャハトを中央銀行の総裁に起用した。

石井:ヒットラーの生みの親がライヒスバンクの総裁シャハトだったわけだ。

ヴェルナー:ドイツから完全に独立した中央銀行の政策の結果を整理してみると、まずハイパーインフレによって国民は貯蓄をすべて失った。そして独裁者ヒットラーを与党にした。つまり、20年代から国民も政治家も国会のなにもできず、中央銀行ライヒスバンクがドイツの政府だった。そのライヒスバンクがヒットラーを選んで、首相に就かせた。そして戦争になって、ドイツの経済と政治に、国民に最悪の状況をもたらした。

●日銀法改正に利用されたブンデスバンクと日銀の差

石井:一万田さんはライヒスバンクで巻物を書いた。ドイツの人はライヒスバンクの反省からブンデスバンクをつくったのに、日本ではライヒスバンクの巻物がずっと受け継がれている。その巻物は今でも福井さんが持っている。円の支配者は、実は間違った、ドイツが反省材料としたライヒスバンクの巻物を持っている。なぜこんなことになったのかといえば、一万田さんはライヒスバンクの勉強はしたが、ブンデスバンクの勉強はしてなかったからだ。

ヴェルナー:ブンデスバンクは評判がいいから、日銀法を改正したくて、その名前を利用しただけだ。


●日本に日銀法改正を要求していたウォール街の金融財閥

石井:ブンデスバンクはどちらかというと政府、日本的には上からつくられた中央銀行だ。それに対して、イギリスの場合は民間から中央銀行が発生した。

ヴェルナー:たしかに民間がつくったが、国民がつくったわけではなく、ある少数の、お金持ちの銀行家がつくった。銀行家たちは銀行のカルテルをつくり、銀行の銀行をつくろうと考えた。なぜかといえば、銀行にはお金がなくて、ある意味でいつも倒産に近い状況におかれている。銀行は無からお金をつくって貸し出すといってもよいが、本当はただ会計処理をするだけだ。顧客がローンを組むと、銀行は無からお金をつくり、顧客は預金という形でお金を得ることができる。銀行はこのようなシステムなので、つぶれやすく、危機に直面しやすい。そこで、銀行家たちは銀行の銀行、すなわち中央銀行をつくって、いくらでもお金をつくれるようにすれば、自分たちの銀行は倒産しないということに気がつき、国王にイングランド銀行設立の許可を求めた。

当時、ヨーロッパの王様たちはお金に関する十分な知識がなく、金だけがお金だと思っていた。しかも、イギリスの国王は戦争などでお金が必要だったが、これ以上の増税は難しいという状況だった。その時、銀行家たちが「いい考えがあります。国王にいくらでもお金を貸す仕組みをつくることができるので、国王に許可していただければそういう仕組みの銀行をつくります。イングランド銀行をつくりましょう」と進言した。

イングランド銀行の仕事は、国王にたくさんお金をあげることだった。といっても、実際にはその中央銀行は無からただ紙を刷って、お金をつくっただけだった。ここで賢い王様だったら、なぜ銀行家たちが持っている銀行がお金をつくって、国王がそこから借りなければならないのかという疑問を持ったはずだ。国王は中央銀行から借金をするのだから、利子を支払わなければならない。もちろん、実際に支払うのは国民の税金からだ。結局、中央銀行のシステムは政府に借金させ、その利ざやを国民から税金の形でとり、それを銀行家に渡すという仕組みだ。先進主要国のなかでは初めてイギリスに誕生した中央銀行は国民のためではなく、逆に国民を搾取するために設立されたものだ。この仕組みで政府は権力を失った。なぜならお金をつくる、割り振るものが本当の政府なのだ。

中国には10世紀に賢い皇帝がいて、政府がお金をつくった。こちらのほうが合理的だ。そうしたら皇帝は権力を持って、銀行家より力があった。この形式はフビライハーンの時代まで残った。しかし、ヨーロッパでは銀行家たちのほうが貴族や王様よりも賢かった。

ヒットラーも実は中央銀行の危険性に気がついて、政権の終盤の1939年に、少し遅すぎたが、シャハトをクビにした。ヒットラーはある特定の投資家が中央銀行を持っているのは問題があると考え、政府と一致する、政府を支持する、国民のための中央銀行を設立すべく、1939年に改正ライヒスバンク法を導入した。

当時、日本はドイツと同盟関係にあり、革新官僚と呼ばれた人たちがその法律のよさに気がついて、日本にも導入しようということになった。その法律には、中央銀行は政府の下にあると書かれていたので、大蔵省を政府の代表とみなして、大蔵省の下に入れることになった。こうして、改正ライヒスバンク法は日本語に訳されただけで、1942年に新日銀法として日本に導入された。

それで日銀の生え抜きのプリンスたちが困った。この法律はよくないと、占領軍に改正を要求した。ウォール街の金融財閥も日本に日銀法改正を要求していた。しかし占領軍の司令部は、その法律のことをそれほど悪くないと考えていた。彼らは民主主義の視点から、中央銀行はやはり国民に選ばれた代表の下、つまり政府の下にしないと民主主義ではないと指摘して、そのままその法律が残った。

それ以来、一万田さんから佐々木さん、前川さん、三重野さん、福井さんまで、この民主的な法律では困るという考えが受け継がれてきた。ヒットラーがつくった新しい中央銀行の法律は日本だけでなく、世界中に影響を与えた。世界初の、国民のための中央銀行をつくろうという考え方だったからだ。

●福井体制は政府管理型の金融政策を遂行するのか?

石井:福井体制を一言でいえぽ、政府管理型の金融政策を遂行する仕組みだと思う。政府がイニシアティブを持った金融政策を少なくともこの一年間はやらざるをえない。なぜかといえば、福井総裁の脇を固める武藤副総裁、岩田副総裁は直近まで小泉政権のスタッフだった。政策スタッフ、官邸スタッフ二人がそのまま横滑りで副総裁になった。福井さんはそれに乗っているが、両足に足かせがはまって、さらに背中から塩川財務相がはがいじめし、福田官房長官が口まで押さえているという状況だ。したがって、基本的には福井さんは身動きがとれない。

福井日銀がなぜこんな状況に追い込まれたのかといえば、速水前総裁の政策失敗に官邸が危機感を強めているからだ。政権を長期化させたくても、今のままでは九月に終わってしまう。したがって、小泉政権の延命を図るために、相沢議員を中心とする自民党の金融関係議員が発案する政策を遂行するために、福田官房長官と塩川財務相が武藤さんを送り込んだ。

武藤さんのように直近の事務次官が日銀副総裁になったことは前例がない。これまで事務次官は五年程度外に出て、たとえぱ東京証券取引所理事長や日本輸出入銀行総裁などを経由して日銀に入っていた。昔の言葉でいえぱ、日銀を監督する立場の人が直接日銀に入ったということだ。今は監督ではなく監視だが、財務省は日銀の業務についての許可を出す役所だから、財務省と日銀の関係はほとんど変わっていない。監視する立場にいた最高責任者が直接日銀にきたということは、日本がGHQに占領されたように、日銀速水体制が政策の失敗続きで敗北し財務省に占領されたのと同じ構図だろう。武藤さんは実質的には今も総裁だと認識している。武藤さんは間違いなく五年後に総裁になるから、武藤総裁体制が一〇年間続くというふうに考えている。

ヴェルナー:私の意見はまったく逆だ。小泉総理が福井新体制の副総裁人事を固めた段階で、日銀の独立性がなくなるとか、日銀が財務省や政治家に操作されるようになるといった内容の記事が新聞などにも掲載されていた。独立性がなくなる恐れがあるから心配だ、やはり日銀は独立していたほうがいいという論調だった。しかし、そんな心配はする必要がない。私はまったく逆の心配をしている。日銀の独立性が以前から高すぎることこそ問題だ。操作されているのは財務省や政治家のほうだ。日銀新体制の福井、武藤、岩田の三人のなかで一番力を持っているのは明らかに福井さんだ。

●金融政策は先手必勝。腐ったピザを出しても何にもならない

ヴェルナー:私は小泉さんの雇用主が福井さんで、日銀のほうが政府、財務省を操作できると思っているし、国会よりも日銀のほうが権力があるとみている。実は国会は福井さんの過去の実績を追及する絶好のチャンスがあったのに、逸してしまった。三月に議会の歴史で初めて日銀総裁への投票権が与えられた。政治家は日本の国民のために働くことが義務のはずであり、皆一応景気回復を願っているはずだが、福井さんに質問するチャンスが与えられたのに、政治家はほとんど質問しなかった。福井さんは過去に大変な失政を繰り返し、国民に悪影響を与えた人だが、その人に対して過去の実績や失敗の理由についてだれも聞こうとしたかった。唇がないみたいだった。投票でも反対しないで、過半数は福井さんを選んだ。これはおかしい、これは民主主義なのかと思った。そこでだれが権力をもっているのかが判明した。国会でも、政府でもない。福井さんだ。

石井:福井さんが総裁に就任して、本当に世の中がよくなるのかどうか。短期間で、一年くらいで、デフレから脱却できるのかどうか。小泉さんは福井さんに頼みましたよといっているわけだ。新聞などは福井さんの対応はスピーディーで非常にいいといった視点で記事を書いていたが、私にいわせれば、話にならない。問題外だ。そういう意味では、福井日銀は出足から限界を露呈してしまった。まあ、私としては予想どおりの結果だったが。福井さんは総裁就任直後で注目も集まっていたし、政府からも圧力がかかっているので、なにか行動を起こさなければならない。

先日、総理や官房長官が出席した会議にオブザーバーとして招かれた日銀の政策担当理事が政府に徹底的に怒られた。「なにをやっているんだ。なにもやっていないじゃないか」と怒鳴られた。それでようやく臨時政策委員会が開かれた。臨時政策委員会をやるなら大きな政策の変更があるのではと市場は期待したが、結局株の買い取り枠を二兆円から三兆円に拡大しただけで、期待感を持たせる政策はなにも打ち出されなかった。中小企業対策も、投資信託を購入するかどうかといった議論はなにもなかった。これはクイックレスポンスではなく、トゥレイトだ。

株式市場の時価総額は二〇〇兆円から三〇〇兆円もあるのだから、一兆円や二兆円株を買い取っても株価を刺激することはできない。もともと株の買い取りは政策の失敗で、昨年から株を買ってもなにも動いていない。動いていないものをまた動かしても、なんの意味もない。全然ピントはずれだ。

福井さんはやりたくないのかもしれないが、不動産投信や株価連動型投信(ETF)、外債の購入を検討するだけでもよかった。国債の買い取り額の上限撤廃という案もある。福井さんが政策の実施を先に延ぱしても、事態が悪化すれば必ずやらされることになる。福井さんは「金融政策は先手必勝だ」と発言しているが、いっていることとやっていることが全然違う。金融政策は事態の変化に先んじてやらなげればならないから、先んじていいものをやらなけれぱならないというのが彼の主張だが、なにも先んじてやっていない。冷えたピザどころか腐ったピザを出してもなんにもならない。福井さんは出足から限界がはっきりしたし、国民の本当の深刻さを理解していないということもわかった。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/200607


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