2006年01月26日

西武帝国の興亡〜会社は株主のものか

西武帝国の興亡〜会社は株主のものか
・【第1回】堤家と西武グループ経営陣の闘い
・【第2回】堤康次郎氏の経営と西武グループ
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堤家と西武グループ経営陣の闘い (2006/01/23)

(松崎 隆司=経済ジャーナリスト)

「彼らは『コクドの上に持株会社をつくることがコンプライアンスを確立するための大前提なんだ』と言っている。しかし、実は、創業者系の株主を排除しようとしているだけだ」。

こう語るのは、西武グループの総帥・堤義明氏の弟で、ホテル経営者である堤猶二氏だ。

2005年11月、西武グループの中核企業・コクドは臨時株主総会を開催し、1号議案として、持ち株会社「NWコーポレーション」の設立を提案した。持ち株会社の設立は、経営危機に陥っている西武グループ再建のために、西武グループの現行の経営陣が考えた最初のステップだ。総会に出席した猶二氏は、「持ち株会社の設立」案への対抗案を2号議案として提出した。しかし、これは否決され、コクド案が承認された。

2号議案は、猶二氏による独自の増資案。コクド経営陣の案よりも有利な条件で増資に応じるスポンサーを見つけ出したという。猶二氏の増資案におけるコクド株の評価額は、経営陣の提案の3倍、増資額は2.5倍の3000億円に上る。株主にとってもコクドにとってもメリットが大きい。経済合理性から考えれば、株主総会で否決されることは考えられない。それでも、猶二氏の増資案は、否決された。

この背景にはいったい何があるのか。

堤義明氏による西武グループ支配の構図が明らかに

西武グループの経営が危機的状況に陥るきっかけとなったのは、総会屋に対する利益供与事件だった。その後、西武鉄道がコクドの持ち株比率を過小評価していることが発覚した。

東京証券取引所には、企業の上場を廃止する規定がいくつかある。西武グループは、西武鉄道の株式において、以下の二つの規定に触れた。一つは、「上場会社が財務諸表等に虚偽記載をし、かつその影響が重大であると認めた場合」。もう一つは、上位10人の株主の持ち株比率合計が、1年間以上80%を超えた場合だ。

西武鉄道は有価証券報告書において、2004年3月期におけるコクドの持ち株比率を43.16%としていた。しかし、実態は64.83%だった(後に、報告を修正している)。コクドは、西武鉄道における自社の持ち株比率を過小評価するために、株式を社員などの名義で所有する“名義株”という手法を使った。西武鉄道は、有価証券報告書においてコクドを、「その他関連会社」とのみ記載していた。

西武鉄道は、プリンスホテルやその他の西武グループ企業の持ち株比率も修正。これにより、上位10社の持ち株比率が80%を超えた。西武鉄道は有価証券報告書虚偽記載で上場廃止処分となった。

西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載を受けて、堤義明氏は西武鉄道の会長を辞任。さらに、コクド会長、プリンスホテル会長など、西武グループの全役職から身を引ひいた。

この過程において、義明氏による西武グループ間接支配の構図がしっかりと浮き彫りになった。これまで西武グループは、義明氏が、コクドを通じてグループ各社を間接支配する体制を敷いてきた。上場している西武鉄道(資本金約216億円)などの株式を、資本金が1億円しかない非上場企業のコクドが大量に所有。堤義明氏は、筆頭株主としてコクドを支配した。

問題は、西武鉄道の上場廃止、義明氏の役職辞任に止まらなかった。コクドが所有する西武鉄道株を義明氏が、西武鉄道が上場廃止を発表前に、市場などで売却していた疑いが浮上したのだ。当該会社や役員などが、株価に影響を与える重要な情報を発表する前に株式を売却すれば、インサイダー取引規制に抵触する可能性がある。義明氏は、有価証券報告書虚偽記載とインサイダー取引の容疑で逮捕された。

銀行主導の再建が進行

西武鉄道株の上場廃止と、これまで抱えていた不動産の含み損などで、コクドの資産内容は大きく悪化した。西武グループに対する金融機関の融資残高も、約1兆2000億円に達した。

義明氏が逮捕された後、銀行主導による、西武グループ再建が始まった。

西武グループの複雑で不明瞭な資本関係や財務体質に危機感を抱いたみずほコーポレート銀行をはじめとするメインバンクは、西武グループに対し、改善を求める声を上げた。これを受けて西武グループの経営陣は、太平洋セメント相談役の諸井虔氏を委員長とする西武グループ経営改革委員会(事務局長は西武鉄道の池田敦常務)を設置した。みずほコーポレート銀行はさらに、経営改革委員会のメンバーとなっていた副頭取の後藤高志氏を、西武鉄道の社長として派遣した。

経営改革委員会は、コクドを160億円の債務超過と判断。後藤氏を中心とした西武グループの経営陣は経営改革委員会の提案も踏まえて、最終的には持ち株会社を使った再生案を採択した。

銀行主導の再建に対抗する堤清二・猶二氏

「『再生』に名を借りた、西武グループの解体ではないか。コクドの資産を時価で評価すれば債務超過にはならないはずだ」。銀行主導による西武グループの再建案に疑問を持った猶二氏はこう指摘する。

猶二氏を含む親族4人は、銀行主導の再建案に対抗するため、西武グループの再編計画に基づく米ハワイのプリンスホテル売却を阻止しようと、ハワイ州裁判所に訴えを起こした。中心となったのは、猶二氏の兄・堤清二氏だ。かつての西武百貨店社長である。

しかし現段階では、後藤社長を中心とする西武グループの経営陣が、コクドの過半数の株式を握っている。義明氏も、自身の持ち株を、経営改革委員会に白紙委任したと言われている。現経営陣の手にあるのも同じだ。堤清二・猶二の両氏は、自らの再建策を実行するために、西武鉄道のTOB(株式公開買付け)を検討した。だが、コクドの経営権を握らない限り、西武鉄道株の過半数を取得することができないと判断し、断念した。

名義株の所有権確認を求め裁判に

コクドの株主は2005年3月末時点で2099人。主要株主は社員持株会が37.07%、堤義明氏が36.06%、コクドの役員持株会「国友会」が 11.15%、プリンスホテル前社長の山口弘毅氏が1.86%、コクド前社長の三上豊氏が1.76%、スポーツ施設経営会社が1.38%、コクド前専務が1.29%、コクド元取締役が1.14%、コクド社長の大野俊幸氏が1.00%、西武商事社長の南洞洋一氏が0.91%、その他が6.38%。

しかし、コクドの全株主の半分以上が名義のみの株主で、実際の株主は堤家だという。名義株は、西武鉄道株だけではなかったのだ。創業者の堤康次郎氏は、強力な支配権を維持しつつも、経営責任を回避するため、自身が持つコクド株の名義を役員や幹部社員に変えていた。すでにコクドでも、複数の元役員が名義株の存在を証言しているという。筆頭株主である堤義明氏が所有している株式も、すべてが同氏のものというわけではない。義明氏が、一族を代表して所有しているに過ぎない。

こうした株式の所有権をだれが持つのか…これをきちんと立証することができれば、堤家はコクドの株式の過半数を握ることができる。つまり、コクドの経営権、さらに その先にある西武グループの経営権を手にし、再建の主導権を握ることができる。そのため清二氏や猶二氏は、名義株を巡って所有権確認訴訟を起こしている。

こうした中でコクド、西武鉄道、プリンスホテルの3社は、昨年8月10日、コクドの上に持ち株会社を設置する西武グループの再編を発表。それぞれ11月に臨時株主総会を開催し、再編案を議決した。これが冒頭に紹介した動きである。

猶二氏はこれに対抗するため、臨時株主総会中止を求めて仮処分を申請した。しかし、東京地裁はこれを却下。猶二氏は、東京高裁による仲裁勧告を受けて、臨時総会に出席した。

経営陣が、持ち株会社の設置とコクドの増資による西武グループの再編を提唱したのはなぜか。

こうした疑問について、猶二氏はこう語る。「真の株主をはっきりさせないで再編をやろうとするのは、目的がちょっと違うのではないでしょうか。現経営陣は、コクドを増資することによって創業者系株主の持ち株比率を下げてしまえば、所有権確認裁判でわれわれが勝訴しても、その影響を受けずに独自の再建策を進めていくことができると考えているのではないか」。

猶二氏の増資案は、コクド株の評価額で3倍、調達額は2倍の好条件

西武グループの現経営陣の提案と、猶二氏の提案の内容を確認しよう。

現経営陣が提案する、コクド、西武鉄道、プリンスホテルの合意案は、1)コクドの持株会社としてNWコーポレーションを設立、2)コクドの新株発行(増資)、3)コクド、西武鉄道、プリンスホテルの再編と西武ホールディングスの設立などだ。

具体的には、新たに設立する西武ホールディングスが、プリンスホテルと西武鉄道に再編成された事業会社2社の純粋持ち株会社となる(関連情報、PDFファイルの3ページの図を参照)。義明氏をはじめとするコクドの株主の、事業会社に対する影響力を限定的なものにとどめるため、コクドは1331億円の増資を行う。コクドは、5944株を新たに発行。1株2239万8787円で、投資ファンドのサーベラスに3963株、日興プリンシパル・インベストメンツに1981株を割り当てる。

再建資金を確保するため、西武建設が保有する西武鉄道株も売却する。西武建設は、西武鉄道株を1株919円でサーベラスに579万5000株、日興プリンシパルに291万株譲渡する。コクドの増資などと合わせて、西武グループ全体で総額1600億円調達する。

資本増強およびグループの再編により、西武ホールディングの株式は、サーベラスが全株式の30%、日興プリンシパルが15%、NWコーポレーションが14.99%(いずれも見込み。議決権ベース)を保有することになる。堤義明氏の持株比率は、36%から一気に5%にまで低下する。

調達した1600億円の資金で西武グループは、向う3年間の間に、鉄道・沿線事業で720億円、ホテル・レジャー事業で630億円、その他子会社で250億円の設備投資をするという。このほか、1兆3500億円ある有利子負債を1兆円以下に削減する計画だ。

これに対して猶二氏が提示した代替案は、1株6689万9983円でコクド株を4484株を発行し、約3000億円を調達するというもの。コクド株の評価額はコクド案の3倍、調達額も2.5倍になっている。これを元に、鉄道・沿線事業で850億円、ホテル・レジャー事業で750億円、その他関連会社で400億円を投入。さらに有利子負債を1000億円返済する。

猶二氏の案を否決した理由は不可解

猶二氏の提案は、経営陣のそれより明らかに好条件だ。しかし株主総会では、経営陣の案が承認され、猶二氏の案は否決された。

なぜなのか。コクドの広報は「猶二氏のファイナンシャルパートナーであるウエストグルッグ・パートナーズ・アクイジッションLLC(WPA)は日本で実績がない」点を指摘する。

しかしWPAは、コクドの広報が言うような、日本で実績のない会社ではない。米国の公的年金や大企業年金、大学基金などを基にした投資ファンドで、日本、米国、英国、欧州で2兆8000億円の資金を運用。中長期的な視野に立った経営が必要なホテル、住宅、オフィスビルなどの不動産に対する投資や開発、企業再生にも実績を持つ。

さらに「WPAのトップはモルガンスタンレー出身で、西武百貨店を中心とするセゾンがインターコンチネンタルホテルを買収したときの、売り手側のファイナンシャルアドバイザーをした人物。堤清二・猶二両氏と、古くから付き合いがある」(WPAの幹部)。

実質的な筆頭株主である堤一族は経営に影響力を持てない

2005年11 月の臨時株主総会で、独自の増資案を否決された猶二氏は、ここでの決議を無効とする訴えを検討している。さらに12月14日、NWコーポレーションの代表取締役に対し、12月21日のコクドの臨時株主総会で、新株発行の議案に賛成しないよう求める仮処分を東京地裁に申請した。しかし東京地裁はこの仮処分申請を却下。コクドは12月21日に増資を行い、一連の再編案を一気に議決した。

検討中の株主総会決議無効の訴えも、申請から審査開始まで6カ月かかる。コクド株の所有権確認訴訟は、早くて今年春、遅ければ夏までずれ込む。勝訴して正当な権利が認められても、増資が済んだ後であれば、完全な現状復帰は難しい。経営権の奪還ではなく、損害賠償という形に終始してしまう恐れがある。西武グループにおける創業者一族の株主権は、すでに、事実上否定されている。

「会社は株主のものである」という商法の大前提は、西武グループでは文字通りには運用されていない。日本の株主会社のあり方が今問われている。

http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/seibu/060123_1st/



堤康次郎氏の経営と西武グループ (2006/01/25)

総会屋に対する利益供与事件から経営危機にまで陥った西武グループ。創業者である堤康次郎氏は、いち早く土地開発に目を付け、一代で巨大企業グループを作り上げた立志伝中の人物だ。だが、その一方で「土地を二束三文で買い叩き暴利をむさぼる」、「税金を払わない」、「過小資本と複雑な資本構造」といったダーティーなイメージが付きまとう。現在、西武グループが直面している危機も、その元凶は、康次郎氏が作り上げられた仕組みにある。

堤康次郎氏の経営とは、どのようなものだったのだろうか。

事業の失敗は数知れず

康次郎氏が本格的に事業に乗り出したのは早稲田大学在学中のことだ。後藤毛織の株主総会に出席し、乗取屋に追及されていた社長を弁護した。これをきっかけに後藤毛織の株式を取得し、5000円の元手を6万円に増やした。さらに、この6万円を元手に三等郵便局長の権利と渋谷の鉄工所を手に入れた。大学卒業後も次々に事業を展開する。

ただし、康次郎氏が事業で成功するのは戦後のこと。戦前は、何度も倒産の危機に直面した。

買収した鉄工所は注文先の倒産やずさんな経営で倒産。続いて、石炭の掘削に進出するが、搬送手段がなく失敗。大隈重信の要請で雑誌「新日本」の経営に携わったものの、返本が相次ぎ、廃刊となった。

1918年には、第一次世界大戦の好景気に目を付けて、名古屋の海運業者である波越汽船を買収し、海運業に進出した。しかし、石炭の積み出しのために名古屋から室蘭に向かう途中の船が、行方不明になってしまった。

真珠王・御木本幸吉氏の向うを張って鳥羽で真珠の開発をしたこともあった。これも、うまくいかなかった。

度重なる失敗の中で康次郎氏は、「自分は世の中に生きている値打ちのない人間なんだ」と思いつめることまであったという。そんな中、決断したのが不動産の開発事業への進出だった。

不動産業に転進して運をつかむ

当時の不動産事業は、特定の支配者がいるわけではなく、自由に事業を展開することができたからだ。今で言うベンチャービジネスだった。

最初に着手したのが軽井沢のリゾート開発である。これが成功し、箱根の開発にも着手できた。1919年に箱根・強羅の土地10万坪を取得。本格的な箱根開発に着手するために、1920年、箱根土地(現コクド)を設立した。その後、芦ノ湖の湖上交通にも着目、箱根遊覧船を買収した。さらに湯河原、三島、伊豆半島にまで開発を拡大。1921年には、沼津と三島を結ぶ唯一の交通網である駿豆鉄道を買収した。

康次郎氏は、経営権を巡って内紛が起きていた駿豆鉄道の株式6000株を取得して、社長の白井龍一郎氏から経営権を奪取した。このとき、白井氏から依頼された文化会会長の岩田富美雄氏は、所有する株式を売却するようピストル片手に康次郎氏を脅迫した。しかし、康次郎氏はひるまなかった。このことから、「ピストル堤」と呼ばれるようになったという。

伊豆と箱根の開発を巡っては、東急グループ(現在の小田急グループ)と闘った。のちに、作家・獅子文六氏の小説「箱根山」に取り上げられ、“箱根山戦争”と呼ばれるようになったものだ。東急グループから分離独立した小田急グループ傘下の箱根登山鉄道と、箱根土地傘下の駿豆鉄道(現伊豆・箱根鉄道)が、箱根におけるバスの路線と湖上輸送をめぐって戦かった。

芦ノ湖を航行する西武系の「箱根遊覧船」に対抗してできた「箱根観光船」を、小田急が裏でバックアップ。対抗するため康次郎氏は、同氏が日本で初めて造った「自動車専用有料道路」(早雲山・湖尻間)において、箱根登山鉄道のバスの乗り入れを拒否。これが訴訟合戦に発展した。

その後も両社の闘いは、20年以上にわたって続いた。両社のボスである五島慶太氏(東急電鉄会長、小田急代表)と康次郎氏が相次いで亡くなったことで、両社は和解した。しかし、乗っ取りで名を馳せた“強盗慶太”と“ピストル堤”の戦いとして今でも語り次がれている。

宮家の土地を買収し、プリンスホテルを建設

康次郎氏のビジネスが本格的に拡大するのは戦後になってからだ。昭和初期に経営危機に追い込まれた箱根土地は、不毛地に道や水道などのインフラを整備して付加価値を付ける土地開発から、ブランド力のある都心の土地を買収し開発するビジネスに、その重心を移していった。そして戦後、康次郎氏が着目したのが、東京都区部にあった旧皇族、大口土地所有者の土地の買い入れだった。

皇族が邸宅地を手放すようになったのは、1946年5月。GHQ(連合国総司令部)が、課税免除を含む皇族の特権を廃止したことがきっかけだ。秩父、高松、三笠の直宮家を除く11宮家に、臣籍降下と財産税の納付を申し渡した。しかし、宮家が自力で財産税を支払うのは容易なことではない。将来設計をするために、康次郎氏をビジネスパートナーに選んだ。

康次郎氏は、1950年に朝香宮邸を、翌51年には竹田宮邸を買収した。さらに、53年に北白川宮邸、54年には李王邸を買収した。

康次郎氏は、これらの取得費用を支払うに当たって、一つの工夫を施した。手付金のみを支払い、残金は残したまま、利息を支払うことにしたのだ。例えば北白川邸は1万2000坪。坪単価8000円、総額9600万円の価値があった。これに対して、手付金500万円と中間金1000万円はすぐに支払ったものの、残金は支払い猶予金として支払わずに残し、年間1割の利息を支払うことにしたのだ。康次郎氏には、小さな資金で大量の土地を取得できるメリットがある。宮家にとっても、長期間にわたって生活の保障が確保できるというメリットがあった。

康次郎氏は、取得した宮家の屋敷や庭園を転売することなく、そのまま生かす道を選んだ。そして、庭園を利用してつくったのがホテルである。旧竹田宮邸には高輪プリンス、旧朝香宮邸には芝白金迎賓館、朝鮮李王家邸には赤坂プリンスを建設した。これらの土地が持つブランド力を最大限に利用するために、「プリンス」の名を冠したと言われている。

西武グループに対する康次郎氏の執着は強く、近親者たちには「竈(かまど)の灰まで堤家のもの」だと教えていたという。また康次郎氏自身の屋敷も会社名義にし、家の修理代、電気代、固定資産税、運転手、書生・女中の給与もすべて会社負担として節税・節約した。またグループ企業の資本は小額に押さえ、持ち株会社であるコクドを通して堤家が支配できる体制を作り上げた。コクドの株式は、堤家の名前が表に出ないよう、役員らの名義を使って保有した。その詳細なやり方については次回に譲る。

康次郎氏の節税策や資本政策は、当時は、西武グループという“家業”を守るための知恵だったのかもしれない。しかし康次郎氏が生きた時代と今とでは、時代背景が大きく変っている。コンプライアンスに対する考え方も全く違う。であるにもかかわらず「“家業”を守るための知恵」をそのまま放置し、経営の近代化を図らなかった後継者たちの責任は重い。無責任に放置された負の遺産が今、西武グループに重くのしかかっている。


松崎 隆司(まつざき たかし)
経済ジャーナリスト

中央大学法学部を卒業後、経済誌の出版社に入社。経済誌の記者やM&A専門誌の編集長などを経て1999年独立。経営論から人事、M&Aなど経済全般について取材を進めている。11月には「知っておきたい昭和の名経営者」(三笠書房)を出版する予定。

主な著書
「会社破綻の現場」(講談社)
「闘う経営者」(実業之日本社)
「商売のしくみとしきたり」(日本実業出版社)

http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/seibu/060125_2nd/


posted by ヒート at 07:50 | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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